命の差別はあってはいけないことだとは思いますが、この訴えはちょっとズレてるとしか思えませんねぇ……。

「命の差別があってはならない」 事故死した重度知的障害少年の両親、施設側を提訴 逸失利益焦点に

 重度の知的障害を持つ松沢和真さん=当時(15)=が平成27年、東京都八王子市の福祉施設から抜け出し、約2カ月後に山林で遺体となって発見された事故で、両親は14日、福祉施設を運営する「藤倉学園」(東京)に約8800万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。請求には松沢さんが生存していれば将来見込まれた利益(逸失利益)として、平均賃金から算定した約5千万円を盛り込んだ。重度知的障害者の逸失利益算定が争点になる見通し。

引用元:産経ニュース
http://www.sankei.com/affairs/news/170214/afr1702140010-n1.html

記事中でも触れていましたが、昨年、こんなニュースがあったのを覚えていますでしょうか?

施設から行方不明 知的障害少年の写真公開 警視庁(外部サイト)

施設から不明の15歳少年、遺体で発見(外部サイト)

残念ながら警察の捜査は実ることなく、松沢和真さんは遺体となって発見されたわけですが、この事件に関して施設側は過失を認め、慰謝料2千万円を支払うことを提示したとか。今時、珍しく物分かりのいい施設ですね、いい意味で。


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松沢和真さんを預かっていた多摩藤倉学園(藤倉学園HPより)


どの程度の落ち度が施設側にあったのかはわかりませんが、このように障害者が施設を抜け出すという話はさほど珍しい話ではなく、私が障害者施設に勤めている時も同様な出来事はちらほらとありました。

とまあその話はさておき、この事件の大きなポイントは逸失利益になるのでしょう。

さて、記事中にも書かれていたように、この一件については施設側は自らの過失を認め、松沢さんの両親に2千万円の慰謝料を提示しています。

あくまで私見ですが、普通ならばこの時点で和解するだろうとは思ったのですが、松沢和真さんの両親は


「2千万ぽっちじゃ話にならねぇぞ!!」


と、松沢和真さんが将来稼いだであろう賃金=逸失利益を盛り込み、8800万円の損害賠償を施設側に求めたんですね。


請求には松沢さんが生存していれば将来見込まれた利益(逸失利益)として、平均賃金から算定した約5千万円を盛り込んだ。重度知的障害者の逸失利益算定が争点になる見通し。


障害者を預かるということは、施設にしてもそこで働く職員にしても非常に大きな負担が掛かります。こと重度の障害者ともなれば尚更のことで、そもそも障害者の「生みの親」ですら大きな負担を感じ、可愛い可愛い我が子を専門の施設に預けるぐらいなのですから、どれぐらい大変なことかは容易に想像できるんじゃないでしょうか。


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多摩藤倉学園(藤倉学園HPより)


確かに我が子を失った悲しみや辛さは筆舌に尽くしがたいものはあると思いますが、「ならばどうして自分たちの目の届かない施設に預けたのか」という疑問を感じる人は少なくはないはずです。

まあ、自分たちの手に負えない部分があったから施設に預けた部分があるわけでして、それは否定する気も咎める気も毛頭ありません。そのための障害者施設なわけで、これは至極普通のことなのですから。

ただ、どうしても腑に落ちないのは、施設側がきちんと落ち度を認めて誠意を見せているのにもかかわらず、どのような価値観を持って「将来的に見込まれた利益」を慰謝料に上乗せして請求したのか、という点です。

まず第一に、重度障害者が稼げる賃金というのは皆無に等しいです。むしろ重度障害者を預かる施設や、その障害者にかかる負担、つまりは費用の方がはるかに多いぐらいなのですから、単純計算すればプラスどころかマイナスになってしまいます。

そんなわけなので、この父親の


 提訴後に会見した松沢さんの父、正美さん(60)は「重度の知的障害があったとしても、和真は施設側の不備で将来の全てを奪われた。所得格差による命の差別があってはならない」と話した。


といった発言に違和感を感じずにはいられないんです。

まず、所得格差云々ということを出し合いにするならば、今回亡くなった松沢和真さんが自立して生計を立てられる人物だったかのかどうかを「公平」に問わなければいけません。これは障害の度合いに関係なく、単純に松沢和真さんが所得を得られる立場にあったのか、ということです。

確かに、世の中には重度の障害を抱えながらも働いて生計を立てている障害者はいますが、健常者のように一から百まで自分の力で自立している重度障害者はこの世に一人も存在しません。生活面、そして仕事面で周囲からの手厚い保護やサポートを受けつつ、そこで始めて生計を立てていけるんです。


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それでも「命の差別はあってはならない」と訴えるならば、どうして我が子を施設に預けたんでしょうか? 施設に入れた時点で、自分たちが進んで差別しているわけじゃないですか? あまりにも話が矛盾しすぎですよ、この両親の言い分って(苦笑)

健常者と全く同じように生活を送ることができない以上、差別と訴えるのは本末転倒です。何から何まで同じにしろというのはあまりにも自分勝手な解釈だと言わざるを得ません。それは差別でもなんでもなく、社会という中で自然と生じる「棲み分け」だからです。

その棲み分けがあるからこそ社会は成り立っていけるのですし、かつお互いが「持ちつ持たれつ」で生きている部分があるんですから、この両親は


「重度の障害を抱えた我が子の面倒を見てくれてありがとう」


という感謝の気持ちを真っ先に持つべきなんじゃないですかね? 我が子を受け入れてくれる施設があったからこそ、自分たちが社会生活を営んでいける、と。

余談ですが、最近は「感謝の気持ち」を抱く人が減ってきているような気がします。感謝よりも先にエゴをぶつけてくる「畜生」のごとき人間が。

そして、その人間のエゴこそが「差別問題」を助長しているというのに、どの口が「差別はいけない!!」と言っているのか……もう呆れて物も言えません。

なんだか、年を追う毎にこの国はダメな方向に向かっているような……そう考えさせられるニュースでした。




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